個人情報保護:新生児取り違えに思う

47年前の墨田産院における新生児取り違えの民事裁判に関し、東京地裁が「産院で入れ替わり」は認定、しかし賠償請求は棄却という判決を出した。事実は認定するが、賠償責任は20年以上経っているので請求できないというのは、あまりにも理不尽に思える。時が経てば経つほど自分を生んでくれた人や子供への想いは深くなる。何故、司法はこのあたりを理解できないのだろうか・・・。
もう一つ気になるのは行政の対応である。昔の話だから記録が残っていないというのが行政の言い訳なのだが、日本の戸籍や居住制度において個人の履歴はほぼ完全といっていいほど把握されている。どこで生まれて、両親は誰で、かつその両親はそれまでそこに住んでいたのか、生まれてからどのような居住履歴があるのか、等々、ほとんど把握できるシステムになっている。これは私が携わった悪名高い(?)住基ネットが構築される以前からの話である。住民票も戸籍もほとんどDB化(行政の言葉では電算化)されている。個人情報保護法との関連もあろうが、司法からの要請あるいは人道的な観点からの対応はできないのであろうか。