スペースシャトルと信念の倫理

今夜のTBSのニュース23スペースシャトルの打ち上げを取り上げていたが、その中でNASAのグリフィン局長が「宇宙飛行には危険がつきものだ」と発言していたという表現があった。気になったので、調べてみたら以下のような内容であった。

産経のインターネット記事より、
これまでの検討では、課題となった十五項目のうち三項目で対策が不十分とも指摘されてきたが、グリフィン局長は「詳細な協議の結果、ディスカバリー号の打ち上げと飛行は必ず成功するという結論に至った」と自信を示した。(中略)課題となった十五項目のうち三項目で対策が不十分とも指摘されてきたが、グリフィン局長は「詳細な協議の結果、ディスカバリー号の打ち上げと飛行は必ず成功するという結論に至った」と自信を示した。(中略)シャトルの現場責任者も二十四日、「リスクは受け入れ可能」との見解を示していた。

これってまさに、ウィリアム・クリフォードの信念の倫理で取り上げられている移民船の船主と同じではないか。
移民船の船主は老朽船をもう1回だけと思って出航させた結果、難破・沈没。多くの移民の命が失われた。当然、船主に責任はある。しかし、事故が起こらなければどうなのか?彼は無罪か?
クリフォードは主張する。「ひとたび行動すれば、それは永久に正しいか間違っているかのどちらかだ。その善か悪がたまたま結果を生まなかったからといって、それが変わることはない。 無実だったことにはならない、見つからなかっただけだ。正しいか間違っているかは、信じたかどうかではなく、なぜ信じたのかの問題である。何を信じたかで はなく、どのように信じるに至ったかの問題である。結果として正しかったかどうかではなく、目の前にある証拠を信じる権利があったかどうかの問題である。 信じるに足る根拠がないことを信じるのは、例え結果がどうあれ罪深いことだ。」

果たして、NASA局長は今何を信じているのだろうか? 

我々はただ成功を祈るばかりではあるが・・・。